ノーマルな写真を撮る方法

デジタルカメラで撮影した写真を載せたり、考えを書き留めるなどする手記です。

気紛れ深海魚

ブログを書くのは5年以上ぶりである。あの頃と今の自分の違いは、あまりに大きすぎて、自分でも把握できていない。色んな事が変わったし、住まいも引っ越している、人格もある程度変わったと自覚している。最後に書いたのはインドに2ヶ月ほど出張した際に、その時間を作品作りにあて、写真をウェブにリアルタイムで載せていたときである。あのブログのタイトルはなんだっただろう。そんなことまで忘れてしまった。

 

今度のブログは期間限定になる予定だ。そして、主に写真を載せて、それについて書いたりしたい。読者もほとんどいないだろうし、写真もほとんど作品として撮っていないので、あまり期待できないかもしれない。自分でも撮ってみないと分からないというのが本音だ。

 

こんな僕でも、コニカミノルタのフォトプレミオで個展をやらせてもらったことがある。もう数年前の話だ。今となってはあれはまぐれ(審査員の気紛れ)だったというのが、私の周囲の認識だ。口に出すのも恥ずかしい。ただ、いまでも写真は好きだし、クリエイティブなものへの興味は写真以外にはあまり持っていない。音楽で感動することも最近はあまり無い。

 

照れ隠しの自虐はこれくらいにして、本題に行く。とにかく、まずは今年のゴールデンウィークの余暇を使って、色々撮影をしてみたいと思う。実は、興味がある被写体というのが、意外と自分でははっきりしている。経年劣化したもの、ゴミ、ロープ、植物、奇妙な人間、貧困、川辺などだ。自分がカメラを始めたきっかけは彼女が持っていたフィルムカメラのシャッターを押したことだが、最も影響を受けたのは、中平卓馬藤原新也内原恭彦などの作風である。今どき有りがちなのかもしれない。だいたいどんな写真になるか想像できてしまうだろう。暗闇の底、深海魚のような私が、ここに重い重い腰を上げて第一歩を踏み出す。